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2005年 09月 18日
こういうカチッとしたまさに「ドラマ」な作品を、きちんと映画化できたのはやはりアラン・J・パクラの腕というべきか。
その演技力が嫌味なジョークの対象になる前のメリル・ストリープ、「魅力的な狂人」というすごいキャラを「地では?」とさえ思わせるケビン・クライン(大好き)、その後人気TVシリーズで「ポキプシ」などと言っているとは当時は夢にも思わせない初々しいピーター・マクニコルの3人が、そろいもそろって素晴らしいです。 以下、タイトルに由来するあまりに重く、残酷な「選択」の内容にも触れますので、未見の方はできれば鑑賞後に読んで欲しいな、と勝手なお願い。 ナチによるユダヤ人迫害を、遠い世界の遠い昔の「愚かなこと」のようにも思ったりするのだけど、自分の心の中に「だから○○人は」とか「△△人ってちょっと嫌だなあ」などと いう気持ちがまったくないわけではない。 ナチが「純血」にこだわり、ユダヤ人を一人ひとりの人格ではなく「ユダヤ人」という ものでしか見られなくなった経緯も、わからないことでもないともいえなくもないのです。 (しゃきっとしない言い方だなあ) しかしやはり、それがどんなに愚かで愚かで愚かなことか、ということを、 この映画を見るたびに思い知らされます。 若い小説家志望の主人公スティンゴと、その隣人になる研究者のネイサン、恋人のソフィー。 3人のほんのひとときの美しい友情の日々(ブルックリン橋でのシャンパン乾杯のシーンは、何度見てもいい)と、二人が持つそれぞれの心の闇が対比的に描かれます。 アウシュビッツ収容時についてのソフィーの告白は二度に渡るのですが、 これはやはり役者冥利、女優冥利に尽きるシーンだとつくづく思います。 しかし二度目の告白(「選択」に関しての)は、あまりにも重く辛い。 メリル・ストリープは、その「大舞台」ともいえる告白のシーンももちろん素晴らしいのだけど、一番うまいな、と思うのは、全編(N・Yでの)を通して「静かな投げやり感」というか、余生感をただよわせているところなのです。 選別に立ち会うナチ高官のほんのきまぐれで、 「2人の子どものうち1人だけは生かしてやる。それをお前に選ばせてやる」と告げられ、 最初は(当然)抵抗するものの、「選ばないなら2人ともガス室行きだ」と言われて 「娘を連れてって!私のベイビーを」と叫ぶ。 そんな経験をしてしまったら、青臭い理想を掲げて都会に出てきたスティンゴなんて、まさに「あなたは何も知らない」なんでしょう。 ラストは厳しいものだけど、不思議と悲壮感はない。 「まあ、こうなるしかなかったな」となぜか安堵感さえもってしまう。 蛇足ですが、ネイサンとソフィーの出会ったばかりのとき、ネイサンがソフィーのベッドに並んで腰掛けて本を読んで聞かせるシーンは、歴代「いいな」シーンの一つであります。
by guri_0922
| 2005-09-18 23:40
| 映画
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